家族コロナ02

 


16日の夜も結局、空が白けてくるまで起きることになった。なかなか寝付けず、苦しそうにうなされている息子の表情は彼の身体に手を当てることで緩和された。ほんの短い間ではあるのだが、スっと抜ける感覚が手のひらを通して伝わってくる、それが子供の頃の自分に当てられた親の手にも思えてきて不思議だ、午前3時、豆電球の暖かくまあるい光の下で、イマと過去がごちゃ混ぜになるのを久しぶりに味わう。

17日、午前9時、目を覚ますとみんな起きていた。良美は相変わらずキツそうに見えたが、三吾には快調の兆しがみえた。ソファの上で、へんてこな姿勢でタブレットを観ていた。まずスラム街と化したキッチン(流し)の治安回復の一環として皿洗いに取り掛かることにした。その後、2日ぶりに天乃を風呂に入れ、長い髪の毛を洗う。いつの間にか尻にかかる長さである。髪の毛に愛しさを感じるのだ、そんな感情をとても尊く思う。

昼間、弁当を買いに忍者の速さでスーパーに行った帰り、妹夫婦から大量の食糧と飲み物を自宅に届けておいたと連絡が入る。ありがとうのワクチンを彼女らの両腕に4回ぶち込ませてもらいたい気分だった。そういえば、朝にシゲからLINEも来ていた。「体調は大丈夫ですか?」お前が言うな、と携帯電話につっこんだ(酔っぱらって大怪我して手術後の顔面の神経がまだまだおぼつかない男よ、ありがとう)。

夕方になる頃、三吾は完全に平熱に戻り頭痛がなくなった。昼過ぎに長めの脱糞中の俺の扉の外で待ち切れずに嘔吐したのが最後。そこからは肉体的な不調はなくなり、彼が”イメージ戦い”と呼ぶ一人遊びも少しづつ再開された。良美も昨日ほど深刻な状況ではないように思える。時折、地獄ヅラでうなってはいるものの、動ける時間も増えてきた、夜は洗濯物を畳んでいた、ありがとう、「手伝って」と言われる0.5秒前に俺は手伝おうかと思っていたんだぜ。

21:30、ネトフリで共に「バキ」の鑑賞を終えた三吾が「ねっみぃ~」と言った。
寝室に移動して先に寝ていた天乃の横に寝転び、即寝。2日ぶりか、3日ぶりか、
穏やかな睡眠時間が訪れた、ホっとする。本当に、安堵する。

この2年間、世界中のメディアを騒がし社会システムに幾つもの大きな変化を与えたパンデミック、covid-19がついに我が家にもやってきた。これから10年、100年先の未来でも語り継がれる2020年初頭の歴史的大騒動である。今後、この病がインフルエンザと同等のものになり、町医者での治療や予防が可能になるのか別のやり方があるのかは知らんが、この状況を忘備録として残しておく。夕方、良美の携帯電話に保健所から連絡があり(彼女の代わりに僕が対応した)明日、天乃をのぞく3人、市役所でPCR検査を受けることとなった。午後7時以降、ドライブスルーでとのこと。この期に及んでわざわざ陽性であること知りに行く阿呆らしさは承知の上である、国の公的な事実として、私たち家族4人が感染したことを記録するのである。それはつまり、未来のために、”ワクチン非接種の感染者”として、残しておかなければならない記録が必要な気がするのだ。

夏風邪はしんどい、って話は子供の頃から呪いのように聞かされていた事柄の一つである。
昼間に、巻き寿司を頬張りながら「ほんとだ!味がしない!」と妻が言っていたのだが、それは別にcovidに限った症状ではない。風邪やインフルエンザ、きつめの鼻炎ですら、味覚が鈍ることはよくある。気になるところがあるとすれば人によって後遺症がある、という一点であり、今のところ無症状な自分が幸福な間抜けに思えて笑える。



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