ボヤけた花を

 




99歳が言葉で振り返る99年を記録に宮崎まで。既に祖父や祖母と別れた私には、とても貴重な時間となった。
道中、ふらりと立ち寄った神社、洞窟の中の本殿を見上げたとき、ずっと昔に、ここを訪れたことを思い出した、いつの記憶かは不明だが、その日はきっと賑やかで、色んな匂いが散らかっていた。

先日もラジオで少し話したのだが、戦争経験者の話を聞いてなおさら、現在を”戦前”と呼ぶことを辞めようと思った。そういえば【「空気」の研究 / 山本七平】にも書かれていたのを覚えている。”太平洋戦争のまさに末期、日本海軍の切り札、戦艦大和が撃沈されることは、明々白々であるにも拘らず出撃の決定をなさしめたのは人ではなく 「空気」である”

その”空気”こそ、現代で”認知戦”と呼ばれているソレなのだ。ワクチンもマスクも、それらが巧く絡み合って作り出されている。偶然ではない。”協調性”という言葉を神様みたいに大切にする国民にとっては相性が悪すぎる。

私は、永遠に、戦後を生きていたいだけだ。
ボヤけた花を、ぼんやり愛でていたいのだ。




などという、インスタグラムからの転載。あっちは消えてゆく感じがして、残したい”気分”はコチラに。という、思い付き。


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