春が終わる感じです。

気づけば半年が経っていた、いつの間にか僕はこんなにも長い間、文字を書かなくても生活ができるようになっている。きっと充たされているのでしょう。それは、土曜日の朝に鳴いている鳥の声を聴けばわかる。それは幸いです。とはいえ、やはり、書かなければならない、と、なぜか思ってしまうのが不思議である。ずっと前は、テキストを打つことで自問自答を整理していた気がする。半径数メートルの”世界”に生じる幾つもの矛盾や不条理について、自分なりの言葉を叩き続けた。排泄行為というよりは、唾を吐く、態度に近いだろう、世界と向き合うための言葉が、僕には必要だった。にも関わらず、文字を書かずとも近頃は普通に生活できていたのは家族のおかげなのだ。しかし、ふたりの子がだんだん大きくなってきた。

天乃も、ついに春から小学生である。三吾が生まれて8年、僕のほとんどの興味関心は彼らに注がれた。子育ては本当に愉しいのだがそろそろ彼らにも”ジブン”が芽生え、自分の足で、歩き始めた。まだまだ心配な歩幅とはいえ、歩けばそこが道になるのだ。彼らの小さな後ろ姿を眺めながら、たまには声を掛けてあげたい。というわけで、小さな子供に手取り足取りされれていた季節にも終わりが近付いている、春が終わる感じです。


さて、まずはどこかに、置き忘れた言葉をひとつひとつ探すところから始めようかな。






 

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