4月の雨。午前と午後のこと。


 

午前、娘を亡くし悲しみの淵にいる友人夫婦と寺へ行き、和尚の話を聴く時間。優しさと厳しさ、抑揚の効いた言葉の中に真理を見つけながらおよそ1時間と少し。微かに癒された(であろう)傷と、しっかりと入れられた喝を撫でながら山を下る。

生きれば生きるほど辛いことが増える、殊更死別はなお苦しい。頭では理解出来ているつもりなのだが気持ちが付いてこないことが多々ある、「どうすればいいのか?」と単刀直入に尋ねてみた。「理屈じゃない。耐えるしかない。その悲しみに耐えて、それでも前向きに生きること。これしかない」厚い言葉で静かに言われた、胸に刻んだ。帰りしな小雨が降っていた、本堂前の坂を下る前に、振り返って和尚に頭を下げた、和尚は合掌で応えてくれた。その姿がやけに恰好良かった。生業や生活は別として”一人の人”として、ああいう風になれたらいいなと思った。寄り添うことと励ますことと、癒すこと、叱ること。まさに一隅を照らす人の姿に、尊さの本質をみた。


帰宅後、製作中のWebサイトに取り組む。心ここに非ずな気分に満たされて庭で煙草に火を付ける。雨の中でも鳥の声が聴こえる、風の音がする、耳を澄ませば、川の流れる音もする、近頃、生きることの醍醐味を味わっている気もして。すんすんしていると子供たちを連れた良美が帰宅、そういえば午前、「あくまき出来たよ」の連絡を南部式・寺原仁太君から貰っていた。「君たちの中でこれから私とちょいとドライブに付き合ってくれる子はおらんか?」と聞いてみた。「嫌だ」と即答する三吾、「行こうかな」と天乃、喜ぶ父。

ジン君が脳梗塞で倒れたのは今年の初めの頃、盟友のT尊とこのような動画を拵えた。このような動画を拵えたくなるほど、出来ることをしたかった。(この内容が最適であるかどうかは別として。笑)



久しぶりに会えて心底ホっとした、やっぱ体がデカいから回復も奇跡的だったのか。タフなハートは飾りじゃないのよ。病の発症から回復(とはいえ未だリハビリの最中)まで、彼がSNSに綴っていた言葉に、逆に励まされたし面白かった。強靭な精神力が生み出す驚異的な力が西洋医学の予測を越えたという、やや大袈裟な表現も嘘ではない。不安や孤独感がまるで無かったわけはないのだろうがその”在り方”に学ばせてもらった。ありがとうございました。山田村文化センターでも1時間と少し、久しぶりに談笑出来て愉しかった。”いっとき”とはいえ、生死の淵に立った人の言葉はやはり凄みが違う。受け手である自分が勝手に思ったことなのだが”表現者”として絶好の機会を得たはずなのにソレを手放し、ソレに執着すること一切なく、本人が見ている場所は清々しいほど別世界だった。過去の自分の歌にまつわる行いの全てを、照れ臭そうに笑いながら”承認欲求”という言葉で片付ける様を見て、俺の背骨に細い電撃が奔るのを感じた。生死の淵に立った人間はいとも容易くそんなこと言う。へらっと言っちゃう。参っちゃう。とはいえ、周りは黙っちゃいないよ。人に求められて自分の意志とは別に、期待や才能だけが導くステージはあるよ。その時はまた楽しませてくれよ、骸骨や鬼や龍が舞い大人が踊り子供が泣く昔ながらの”時代の最先端”にまた触れさせてください、俺はまたそれを撮るから、一瞬を永遠にしていこう。生きることを愉しもう。


近頃、生きることの醍醐味をますます味わっている気もして。


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