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指先を動かし

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  ポッドキャスト、やってみたいなと思いつつ週末、仕事しながら色んなチャンネルを聞いてみた。みんな喋りうっまいなーと感心して終わった。所詮、俺にゃ喋りたいことがないのかもしれない。それからこうして、指先を動かし文字を綴るのであった。

写真を自由に撮ることが許されるのであればそれでいい

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  1泊2日の甑島ツア、全力で満喫出来たことは筋肉痛が証明している。実に30年ぶりか、親しい友人諸君が休暇や仕事でちょくちょく来島しているのを知ってはいたがフェリ代や宿泊費や島での移動費がだいぶクル、という生生しい話をよく聞いていたので金銭的なゆとりが豊富ではない私たちにとってあの島は遠かった。とはいえ、今回は仕事である。未来学校のシャチョが「週末、甑島に行くけど来る?」つって、「行く」って答えてないのに”行くことになっていた”ツアである。いつものことながら何も知らずについていく。前日に妻から「どこに泊まるの?」と聞かれても「知らん」と答えるレベルの”何も知らず”である。通常であれば有り得ないかもしらんが日常における”リズム崩し”を愛する私にとっちゃウェルカムである。「9時前に高速船乗り場で待ち合わせ」という情報だけが把握している正確なスケジュルであり、それだけで充分なのだ。写真を自由に撮ることが許されるのであればそれでいい。ウェブサイト「 美味しい水 」にてそれらの写真を公開しています。よろしゅう

なるようになる

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こういう意味のわからない(意味のない)ポーズを瞬時にとれる子供の自由な感じ、見習いたい気持ちもある、とはいえどうしようにも戻れない切なさを抱えながら、胸の奥の”ひょうきんな俺”を撫でながら、こんにちは私です。 日記はやっぱり書かんとね、と思う。 書こうと思ったり書きたいと思ったことも、その日のうちに書かんとね、綺麗に忘れちゃう。メモを取るなど、野暮なことはしない。昨日は息子とゴールデンカムイを観て21時に寝た。5時に目が覚めてまた目を閉じて6時過ぎに起きた。早起きにもだいぶ慣れてきた。そういえばこないだ、シンウルトラマンを観に行ってきたのだ。 その前日に、 このような感じで、ツイターに質問をしてみたのだが返信がゼロだった。 "性的描写が"という言葉が目立つシンウルトラマン、小1の息子と観に行ってもいいか?誰か教えて下さい。息子はジョジョやゴールデンカムイが好きです。両方まあまあ性的描写があるのだが、どうだい?  返信がゼロということで、世界中から無視された気分になり虚しさが溢れた。タグを付ければ良かったとかそういうことではなく、これだけ話題の映画なのだ、フォロワーの中にも観た人間は居たろうに、と嘆きながらSNSのドブに唾を吐いてSNSのドブを閉じた。SNSのドブに映った私の顔は惨めだったに違いない。もう2度と、SNSの”っぽい”使い方なんてしないもん。SNSのドブに浮かぶ沈みかけたツイートに誓った。 それにしてもシンウルトラマンは面白かった。「これはいつものウルトラマンだと思って観に行った子供にとっては最悪だけど、俺は父ちゃんが行こうって行って一緒に来たからなんとなくわかっていた。こういうことだってわかってたからギリ楽しめた」とは、じきに7歳になる息子の感想である。見事だと思った。私は、子供向けの映画を子供と一緒に観に行くほど優しくはない。どうしても観たいのなら一人で行くか母親に頼めと伝えてある、だから彼はひとりで行く、少し前の「妖怪大戦争」は迷ったが、一緒には行かなかった。こないだはコロナの都合で散々延期を繰り返された念願のドラえもんを母親と妹と観に行き、3人とも楽しそうだった。それについては母親って優しいな、といつも思う。鬼滅の刃も西野のプペルも不二子のソレも、全て母親が付き添っている。俺にゃ無理だ。俺が思う映画館の美学に反する。 ...

答えのない問いについて

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  22日、日曜日、午前。カメラを持って息子とふたりで街を歩いた。同日、いま、住んでいる小さな町の山の上に計画されている巨大風車に反対するイベントが開催されており、友人諸君も多く参加していた。私も会場での記録撮影を軽めに依頼されてはいたのだが、そこは西俣文学のブラザー・リョーにまるっとお任せして私は敢えて八重山に立つ巨大風車について何も知らない市井の人々や、その人たちが過ごすいつも通りの日曜日を写すことに決めた。 風光明媚なその場所に必要のない風車が立つ。”必要のない”と思っている人以外は”関係がない”と思っているのか知らないだけか。とはいえ知れば反対するのだろうか。鹿児島自然100景なんぞにも選ばれている八重の棚田の景観は崩れるが風車までの道のりは整備され誰でも気軽に登れる遊歩道に仕上がるビジョンは”悪くない”イメージとしてメリット化する可能性も高い、そもそもコロナや戦争の脅威に晒されている日々の中で人知れぬ(生活圏から大きく外れた)山奥に立つ風車に対して何かしらの意識を持つことが出来るのだろうか、などなど。そのように、暮らしと政治と歴史と意識が複雑に絡み合っているからこそ簡単ではない思考の出口を、それぞれのやり方で表現することが”運動”なのだと私は考えている。 春の小雨ちりぢりと舞う日曜午前の天文館、何かを否定する言葉や、安易な答えを提示するのではなく、むしろ答えのない問いについて考え続ける時間を過ごした。というか歩いた。 偉い人や、儲けたい人の臭い思惑の元、善良な(無関心であったとしても不感症であったとしても多忙であったとしても阿呆であったとしても、もはや肉や骨の置き物だったとしてもラブとピースのその隙間であったとしても)私たち市民が分断するのは懲り懲りだよ。賛成と反対と、どちらでもない選択こそ、正しい未来に繋がる気がするのよね。(そんな選択肢あるのか?などと、引き続き、”答えのない問いについて考え続ける時間”を過ごしている)自然破壊はもうヤメよう、風車が何本立ったところで、太陽光パネルが何万枚敷かれたところでこの国の原発が止まるわけでもあるまいし。もはやそれは人々の暮らしに役立つモノではなく、人と人の意思や日々や愛に溝を生む関係性の殺戮兵器にも思える。 追記・今回の反対運動は、風力会社サイドの気持ちよくないやり方に端を発する(周知されない(しないまま...

不安の理由

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  毎週、金曜午後2時はラジオの時間だ。そろそろ1か月が経った。 前に若松ごう君のラジオにゲストで呼んでもらったときに近頃のFMさつませんだいはアプリを使って「全国どこでも聴けるのか」ということを知り、さっそく私の雇い主であるミネオさんに相談して番組をやらせてもらうことにした。テーマは観光。 コロナ禍において(と、今日の日記を書くうえで参考にしようと思い厚生労働省のHPを覗いた。知ってるか?40代男性の死亡率は令和4年3月の時点で0.1%となっている。ちなみにこのデータは厚生労働省が出している公式のものをスクショした”2020年2月から現在までの統計”である。40代未満は勿論死亡率0%である。つまりこれは三毛猫のオスが生まれる確率よりも低い状態である、雷に当たって死ぬ確率よりも低く初恋のひとと結婚する確率よりも低い。にも関わらず子供たちは屋外でのマスクを強要されている状況にある。死亡率の高い婆さんや爺さんは放っておいても寿命で死ぬんだ、俺たちもいずれそうなるように。 書いてて腹が立ってきた。だからといって抗議やデモに繰り出すほど”怒り”が増殖されないのは俺が腑抜けだからなのか阿呆なのかせめて、毎日20人くらいが読んでくれているココに記しておく、ま、お前らは知っているだろうけどな) ”毎週、金曜午後2時はラジオの時間だ。そろそろ1か月が経った” 今日はラジオについて書こかしらん、と思っていたが気分を損ねたからヤメる。 「せめて校庭でのマスクは無しにしてもらえんかね」と伝えた答えが「自宅でもマスクをするように言われている子もいるので、それはちょっと難しいかもしれないですぅ」 馬鹿が。不安なら自分で調べろ、 全ての”不安の理由”は「知らないから」に尽きる。 我、立腹。
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「高千穂の神楽がヤバかった」という話を友人から聞いて、7年前に島根の祭りで見た神楽を忘れられない俺は悶絶した。いつか撮りたいな、と震えた次の日に、別の友人からたまたまテっちゃんを紹介された。そのテっちゃんから自己紹介の時に「神楽をやってます」と言われて泣けた。昨日の今日で、神様の存在を感じた。とはいえ、俺は自分がツイてるな、と思えるのは子供の頃から日常において割とこういうことが少なくないからである。ツイてる、というか、天が俺に「ヤレ」と言っているのだと考えている。ヤレと言われた時にヤれるのは、こちらの準備が既に整っているからだという認識も出来ている。というわけで、天とテっちゃんに感謝しながら笑福神楽団の撮影に行ってきた。 小1の息子も学校を休んで連れて行った。念のため先生にも聞いた「撮影に連れていく予定です、万が一ソレで勉強の遅れが出るのであればコチラで教えます」 伝統芸能「神楽」を体験することと、学校の勉強、”1日”の使い方としてどちらが意味があるかを考えれば迷うことのないチョイスなのだが、万が一、勉学において問題があるのであればそれをクリアすることも親父の役割だと考えている。先生の答えはシンプルだった「いや、三吾くんは勝手に進んでますので大丈夫です」 ”勝手に進んでる”の意味がよくわからないのだが、大丈夫とのお墨付きを貰えて良かった。 以下、三吾が撮った写真である。「今日も父ちゃんが好きそうな写真を撮ったよ、神楽がスゴかったから、簡単だったわ」 1枚目の手前に人を配置して遠近で見せる感じといい、2枚目のあるようでない(ようで、ある)”現場の”ユニークな一瞬、3枚目のシンプルな被写体の真ん中置き。どれも俺が”好き”というか、俺がいつも撮る写真である。よく見てるなあ、と感心する。改めて、学校を休ませて良かった。 伝統芸能に触れることで自分が”日本人であること”を認識するのは私たちにとって大切な事柄の一つである。自然を愛でて、色味が付き始めたこの頃の枇杷の甘さを想像することと同じくらい、大切だと思っている。 神楽を撮らせてもらったよ、という記録を、子育て忘備録として記させて貰う。関係者の皆様、友人諸君。本当にありがとうございました。

クセになりそうだわん

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  先日の晩飯時に「ゴルデンウィクだしキャンプでも行こうか」と言い出したのは良美で「いいねー、川のそばにしよう」と乗ってきた三吾。天乃は食卓に並ぶ嫌いな野菜をどうすれば食わずに済むか考えていたので話を聞いていなかったと思う。私は「嫌だよ、寒いもん」と答えて彼女たちの願いを1秒で打ち砕いたのだが、なんだか少し申し訳ない気もして「庭でBBQでもヤルかー」と妥協案を提示したところ「モンチとサムに電話してよ」と天乃が乗ってきた。”子供の”トモダチではなく、”大人の”トモダチを指名する4歳児が可笑しかった。「わかった」と答えてその場で電話した。急なお誘いにも関わらず、二人とも「行くよー」と承諾してくれた。 タカヤマ夫妻、(タカヤマ夫妻の近所に暮らす)テっちゃん夫妻、モンチとサム、最近鹿児島に帰ってきた地元の友人チシキ、それから西聖夜。思い付きBBQは思いもよらぬ賑やかな輪となった。「夕方からテキトーに」と伝えたのだが、待ちきれずに昼から一人、庭先で肉を焼き「初めての過ごし方」を愉しむことにした。家族の昼食も網の上の肉で済ました。キャンプもそうなのだが、今まで屋外でのアクテブな過ごし方にまったく興味がなかったせいで、網で肉を焼いて食うというシンプルな行為すら新鮮で楽しく思える。もっと言うとBBQ自体、うるさい馬鹿が暇だから馬鹿同士で集い、短パンを履いて牛を焼いて昼からビールを飲むための行為かと思っていた、しかしそれは勘違いだった。近頃は若い時ほど肉をむしゃむしゃ食うわけでもないので”国産・焼肉用”と記されたシールが貼ってある6-7枚で1,000円の肉を「高いな」と呪いながらも買ってきてそっと舌鼓をうった。 一連の行為がやけに愉しかった。クセになりそうだわん 岡山に行って帰ってきて1週間が過ぎた、本当か? これについては改めて、また記すつもりである。待て

世界を見つめる目でありたい。

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午前7時、子供たちをそれぞれの昼の居場所へと連れてゆく妻を見送る。夕方から夜にかけて撮影がある今日の私はその準備と心支度に集中するため自宅作業である。見送った後、まずは皿を洗う、裏庭に出て野菜回りの草を抜く、小さな苗は子供に似ている、愛でてついつい語り掛けたりしちゃう。アっという間に時間が過ぎる、背中に、じんわりと汗を感じて風呂に入る。それでだいたい1時間が過ぎている、そこからデスクに向かい、クライアントワークに励む。博多の会社のWebsiteを制作中である。電話とメールで諸々の擦り合わせと打合せをこなす。長文のメールを書く。腹が減る。コンビニに行ってカップ麺と煙草。ひとやすみして仕事。カメラを小掃除、電池の補充、メモリーカードを新調。昼過ぎ、家族が帰宅。 皆が高性能なスマートフォンを持っている時代だからLiveのジャンルに関わらず”現場”では皆、カメラを持ち撮影している。そんな中で報酬を頂いて記録しているのはその空間の中で私を含めて一人か二人だ、スキルではなく、責任の違いに背筋を伸ばす。例えばクライアントがクリエイターだったりデザイン畑の人の場合、自分でも”写真を撮れる人”も少なくない。その写真やレンズが趣味の範疇を越えていることも多く恐縮する、それならば私は一挙一動に集中して被写体とより向き合うことは当然、撮影データの取り扱いにも気を遣う(”責任”の所在はだいたいここにあるのだと念じながら)。それに写真の良し悪しは依頼人の好き嫌いに左右されるし、撮る人間のパソナリティにも直結する。万人に対して愛想良く出来ない私はスタートラインがだいぶ不利だ。不利だと知りつつ諦めている、偉い馬鹿をおだてて貰う仕事に喜びや興奮は無く人生は短い。そんなことを3日に1度は考えながら昨日知り合った木工作家との会話の中で言った言葉「写真は仕事にもなるし、作品にもなるし、子育ての記録にもなる。それは僕にとって本当に幸せなことだと思っています」 その場所の空気がわかる、 手触りの”在る”写真を撮るために世界を見つめる目でありたい。

4月の雨。午前と午後のこと。

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  午前、娘を亡くし悲しみの淵にいる友人夫婦と寺へ行き、和尚の話を聴く時間。優しさと厳しさ、抑揚の効いた言葉の中に真理を見つけながらおよそ1時間と少し。微かに癒された(であろう)傷と、しっかりと入れられた喝を撫でながら山を下る。 生きれば生きるほど辛いことが増える、殊更死別はなお苦しい。頭では理解出来ているつもりなのだが気持ちが付いてこないことが多々ある、「どうすればいいのか?」と単刀直入に尋ねてみた。「理屈じゃない。耐えるしかない。その悲しみに耐えて、それでも前向きに生きること。これしかない」厚い言葉で静かに言われた、胸に刻んだ。帰りしな小雨が降っていた、本堂前の坂を下る前に、振り返って和尚に頭を下げた、和尚は合掌で応えてくれた。その姿がやけに恰好良かった。生業や生活は別として”一人の人”として、ああいう風になれたらいいなと思った。寄り添うことと励ますことと、癒すこと、叱ること。まさに一隅を照らす人の姿に、尊さの本質をみた。 帰宅後、製作中のWebサイトに取り組む。心ここに非ずな気分に満たされて庭で煙草に火を付ける。雨の中でも鳥の声が聴こえる、風の音がする、耳を澄ませば、川の流れる音もする、近頃、生きることの醍醐味を味わっている気もして。すんすんしていると子供たちを連れた良美が帰宅、そういえば午前、「あくまき出来たよ」の連絡を南部式・寺原仁太君から貰っていた。「君たちの中でこれから私とちょいとドライブに付き合ってくれる子はおらんか?」と聞いてみた。「嫌だ」と即答する三吾、「行こうかな」と天乃、喜ぶ父。 ジン君が脳梗塞で倒れたのは今年の初めの頃、盟友のT尊とこのような動画を拵えた。このような動画を拵えたくなるほど、出来ることをしたかった。(この内容が最適であるかどうかは別として。笑) 久しぶりに会えて心底ホっとした、やっぱ体がデカいから回復も奇跡的だったのか。タフなハートは飾りじゃないのよ。病の発症から回復(とはいえ未だリハビリの最中)まで、彼がSNSに綴っていた言葉に、逆に励まされたし面白かった。強靭な精神力が生み出す驚異的な力が西洋医学の予測を越えたという、やや大袈裟な表現も嘘ではない。不安や孤独感がまるで無かったわけはないのだろうがその”在り方”に学ばせてもらった。ありがとうございました。山田村文化センターでも1時間と少し、久しぶりに談笑出来て愉しかっ...

新緑をまとう

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  朝、隣りの空き家の庭の伸びた雑草に陽が指す時とき。言葉にならない情景の美しさに胸を小躍りさせていると学校支度の済んだ息子がいつの間にか横に居て「きれいだねえ」と語りかけてくれた。そうだねえ、と返す。相変わらず父親としてロクなことは出来ていないが、いつも通りの同じ風景を見て、それを美しく思える感情や言葉を君が持っていることを嬉しく思う。「上、見てよ」と君がいう。いつの間にか、新緑をまとう柿の木様を見上げて、「これもいいよ」と教えてくれた。

小枝みたいなハートと肉体

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  息子、小学生になり2週間くらいが経ったのか、つまりそれは我が家全員が6時起きになって2週間が経ったということ。先日のラジオでも話したのだが俺は早起きが苦手(嫌い)でね、早起きする必要のない職や暮らしを選んでキタのだがもはやそうは言ってられんの。だから、頑張った。しかし、体調不良は息子よりも先に俺にキテしまい”週5で必ず仕事場に行く”という鉄のキマリが苦痛極まりなく断念。微熱と頭痛。昨日は良美に子供たちの送り迎えをお願いして、自宅作業を敢行した。GWまでは俺も頑張るつって気合入れて早々、折れた。小枝みたいなハートと肉体が少し恥ずかしい。 ところがやはり、自宅での仕事は集中の精度が違う。数件の打ち合わせをこなし、体調不良にも関わらず、窓の外に聴こえる野鳥の声は何よりも気分が爽快となり、延々PCの前に居られる気もしてグッドであった。そういえば俺、「鳥になりたい」って文章を13の時に書いて賞レース、偉い人から褒められたことを思い出した。やっぱ、いいよな、鳥は。昼過ぎ、役場に向かう。「郡山懇話会委員」になるべく800字程度のレポートを書いて提出にゆく。何をするのかまったくわからんが、懇話会の委員になろうと思ってね。夜。三吾の空手カンフーはまたしても良美にお願いして、俺は自宅で天乃とカレーを作る、安心と信頼のジャワキーマ。玉ねぎの切り方、だいぶウマなってきた。これをどうするかで、舌触りがだいぶ変わってくるのよ。良美と三吾が帰宅して空手カンフーにテラバルファミリーが体験に来てたよ、と聞かされた。まさか俺も仁くんと組手で戦う日がくるのか、と不安になった。勝てるワケがない。脳梗塞経験者リハビリ中というハンデじゃ足らない。震えた。23時過ぎには子供たちの横で就寝。今日も怖い夢をみた。タイムリープ・ドリーム、過去に戻るのは、本当に嫌だ。

雑記。嗚呼、人生って

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  草刈りシーズンの始まりを告げる4月の日曜。日差しの割りに涼しいからまだ余裕。茄子と西瓜の苗も植えて日々の移ろいを観察する楽しい日々が始まった。なんつって、 のほほんとした言葉をツイターに綴ったのだが実際、草刈前に草刈り機の調子が悪くエンジンが起動しないもんだから30分近くワイヤー引っ張り続けて俺の今日の腕、死んでる、定期的に起動させることを決心した。 夕方、友人のOから電話。Oは去年、片足を切断した後ギランバレー症候群に悩まされている。2月から自宅療養中なのだが声に張りがなく、長電話。身体に力は入らんが映画や本は観たり読んだり出来るとのことなのでamazon primeの「 オール・オア・ナッシング ~ユヴェントスの変革~ 」をオススメしておいた。フットボールが好きか嫌いかはさておき、音楽やカメラワーク、演出や編集のクオリティが高く、毎シーズン、感心感動させられている。不屈の闘志を養う、見習うのに丁度いいと思って。しかし、人間、40年も生きるとやはりこれまでとは少し違う様々な出来事に眩暈がする。事故、怪我、病気や死別、ここ2年で本当にソレらに遭遇することが増えた。たまたま自分には起きていないのだが、自分に起きているような風にも感じるし、”捉えて”いる。人生の醍醐味は、悲しみを中心に展開される。日常のささやかな幸せがどれほど大きなことなのか、改めて噛みしめる。明日は我が身であり、全て我が身である。すべてを受け入れる大らかさと、柔軟性と、強靭なハートを養ってゆく。泣きながら、笑い、泣きながら生きる。砂粒に宇宙を見る。愛について、考える。昨日植えた、茄子の追肥の時期について考える。マイ農園「ネバギブアップ」、それについてはまた。嗚呼、人生って

ぺにょっとほぐす。

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  バカのくせに真面目に考える癖があるな、俺ぁ。知ってたけどよ、あほくさ。 ゴリっと固まった脳みそを、ぺにょっとほぐす。 ブログ、久しぶりの更新。また書こ、と思った。

大きな意味のあることはたまにポンっと決まる。

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以下・facebookにアップした内容をこちらにも載せておきます。  二週間くらい、旅に出ようと思ってね。 家族にその旨を伝えると春から小学生になる息子が「父ちゃんがそんなに居ないのはさすがに暇すぎるから俺も行くわ」と言うからそれもそうだなと思い、親子二人旅になった。 それなら道中を記録しつつ、滞在予定先のタフガイたちとも対話して、それらも旅の記録としてその都度、下記チャンネルでアップしようかと思った。 今、それぞれの地域で暮らす”僕たち”は何を考えて生活しているのか、 誰も知らないこれから先の未来に描く”自画像”について、 色々な言葉を交わそうと考えている。 幾人かの友人諸君に計画の内容を話したところ「行っておいで」と賛同してくれてスポンサーとして参加して貰えることになった。この場をかりて感謝します。 この旅は、 高江未来学校・脇村映像・暗黒ニラ・オフィス旅の途中・コーヒーイノベート・オリエンタルスタジオ・PEOPLEZ EXTRAVAGANZA・株式会社TAMOTSU・株式会社e・LABOのお陰で前に進むことが出来ました。 それから、(わざわざ書かなくていい気もするが書いてしまう性分だから仕方ない)こんな時代に「旅に出る」というと色んな形の余計なお世話を言ってくれる人もいるが「大丈夫、あんたの暮らしにゃ迷惑かけんよ」と即答する。これは俺の人生だ、納得も後悔も誰かとシェアできるもんじゃない。イマしか出来ないので全力で与えられた寿命を全うして屈託なく笑いたいだけだから注射打って寝とけお前は。 ありがたいことに出発直前に幾つかのお仕事を受けたので旅とはいえ仕事と子育てと再会を繰り返すいつも通りの日々になりそうです。閃きから構想、実現までがほんの4,5日という短い間でした。ほんとはもっと居たのにな!相談して賛同して欲しかったブラザー&シスターが!故にスポンサーにつきましては常時募集いたしております(笑)。 旅が始まったら日々の映像の中で紹介するから、ご検討宜しくお願いします。 全容については2月3日、一発目のyoutubeで説明する予定です。 14日が娘の4歳の誕生日なので、その頃までには帰宅予定だが旅の約束はいつだって不透明なものだ。ただ元気で帰ってきたい。チャンネル登録、宜しくお願いします。 「ほんとに行けるのか、君は?」 「わからん、まだ覚悟が決まらん」 ...

30万くらいで

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  ライブハウスも納屋の中でもそこに誰か居るのなら歌う西くん。 2022年、冬。ひさしぶりのナギ家にて。 泰尊の千両役者っぷりとエリコちゃんのシチューがやけに輝いた夜のこと。 最後の一枚はズッシー。昔、日本人観光客のオーロラ見学ツアーのガイドをしていた話が面白かった。3泊4日ほどのツアーで1シーズンに2組くらいはオーロラを観られない不運な日本人がいるらしく「金を払ったのに観れないとはどういうことだ」などと、渋いクレームを付けられることもあるという。2年後に再開しようと思っている、とも語っていた。行きたいなと思った、30万くらいでイケる。

メガネすら汗を

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 今日はtwitterであおいちゃんが面白いって言ってくれたから書ける気がした。ありがとう。 祝日は朝から娘と温泉に行った。この頃、休日の午前中に娘とドライブしていることが多いのだが、息子に比べて強気かつ、甘え上手なところがやけに面白くて癒されている。来月で4歳になるのだが生まれてから今この瞬間まで毎秒可愛い。この写真は一か月ほど前に庭でジャレている兄と妹を撮ったもの。二人の今の関係性を表していて愛しい。 夕方から、久しぶりのFMさつませんだいへ。年末に邂逅したわかまつごうくんの番組「うたのまんなか」に出演させていただいた。17時台とは思えないほどの熱と、スピードのある喋りは彼と僕の共鳴だったのだろう。打合せ0分でいきなり放送が始まってあの感じ、なぜか嬉しかった。ゲストという役割で無責任に喋らせてもらったのだが、俺が彼のツッコミや言葉をもっとしっかり拾って返すことが出来ればもっと面白かったなと反省もした。器用な彼は俺の言葉を拾ってはボケ、拾っては展開してくれていた。忙しそうだった。メガネすら汗をかいていた。しかし、さすがプロだと思った、上手い。所詮、オモシロ素人おじさんの俺は、オモシロ素人おじさんらしく、純粋にその場を楽しませてもらった。ありがとうございました。(私信、もっとクスモンに優しくして!優しく撫でて!) せっかく知り合えたのだし、何か一緒に出来ることはないか、ということでまず俺が彼を”より知ること”から始めようと思い、今回のラジオ出演に繋がったのだが多才な彼の表現のひとつに、歌がある。俺には詩がある。歌と詩は相性がいい。何か一緒に出来そうな気がしたのだが、そうすると、じゃあ詩を送ればいいのか、という話だが、そんなに面白くないことをしてたらせっかくの時間も関係性も勿体ない。それよりも写真を送ろうと思った。この日、ラジオ局のある駅に着いて近辺を歩きながら撮った写真はそのまま歌になれる予感がしていたのだ。 果たして6枚の写真は、音楽に成り得るのか? 知り合ったばかりの大人の遊び方としては風変りではあるが、わかまつくん面白いから遠慮なくイキたい。大人の化学反応、出会いの醍醐味はそれ以外知らない。

気絶して胃の中

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  マスクを着けて通園する娘、園内ではつねにマスクを着用している。この新しい日常がなんだか可哀そうな気がするのは俺の勘違いなのだろうか。などと、楽しくない話題から始まる新しい日記である。書き出しに迷うのも面倒なので適当に写真を選びながら思いついたことから書いてみた。 自室での作業に、より集中できるよう机と椅子を新調した。机が届き次第、新しい日記を書こうと決めていた。去年見つけたgoat( https://yamashitajodan.goat.me/ )は縦書きできることが気に入ったのだが突然、サービスの終了がアナウンスされた。とはいえ始めた時からすでにその感じはしていた、彗星の如くに現れては消えていった幾つもの”斬新な”ブログサービスを見てきた。とはいえ悲しかった。縦書きには趣きがある、惜しい。それでninja toolsという20年近く前から愛用しているサービスを再度試したのだが結局コレに落ち着いた。極、シンプルなデザインでいい。 今年、ついに俺は死ぬかもしれんと思って、なお生きる。   @yamajodan·1月5日twitter   最近のツイート。ある種、妄想ではあるのだが、予感でもある。例えば本当にそうなったとしても誰も悲しまないでくれ。私は、寿命を全うした。と、思っていただきたい。友人諸君、家族の皆さん、くれぐれも。ただ、今のところ私は元気です。 健康診断をしているから。 麻酔うって気絶して胃の中カメラでほじくり回されて。しかし、健康だから元気だとは限らんぞ。そのうち尻の穴からクルらしいな。恥じらいを棄てた先人たちよ、読んでいるわけがないのだが書かせてもらうよ、このとんでもない診断方法と引き換えに失ったものはきっとデカいぜ、大腸ガンの早期発見とアナルの開発を天秤にかけてどうするんだ正気か?あんたたちのこの負の遺産と、私は、どう向き合えばいいのか今はまだ何も考えたくない。