「高千穂の神楽がヤバかった」という話を友人から聞いて、7年前に島根の祭りで見た神楽を忘れられない俺は悶絶した。いつか撮りたいな、と震えた次の日に、別の友人からたまたまテっちゃんを紹介された。そのテっちゃんから自己紹介の時に「神楽をやってます」と言われて泣けた。昨日の今日で、神様の存在を感じた。とはいえ、俺は自分がツイてるな、と思えるのは子供の頃から日常において割とこういうことが少なくないからである。ツイてる、というか、天が俺に「ヤレ」と言っているのだと考えている。ヤレと言われた時にヤれるのは、こちらの準備が既に整っているからだという認識も出来ている。というわけで、天とテっちゃんに感謝しながら笑福神楽団の撮影に行ってきた。
小1の息子も学校を休んで連れて行った。念のため先生にも聞いた「撮影に連れていく予定です、万が一ソレで勉強の遅れが出るのであればコチラで教えます」
伝統芸能「神楽」を体験することと、学校の勉強、”1日”の使い方としてどちらが意味があるかを考えれば迷うことのないチョイスなのだが、万が一、勉学において問題があるのであればそれをクリアすることも親父の役割だと考えている。先生の答えはシンプルだった「いや、三吾くんは勝手に進んでますので大丈夫です」
”勝手に進んでる”の意味がよくわからないのだが、大丈夫とのお墨付きを貰えて良かった。
以下、三吾が撮った写真である。「今日も父ちゃんが好きそうな写真を撮ったよ、神楽がスゴかったから、簡単だったわ」
1枚目の手前に人を配置して遠近で見せる感じといい、2枚目のあるようでない(ようで、ある)”現場の”ユニークな一瞬、3枚目のシンプルな被写体の真ん中置き。どれも俺が”好き”というか、俺がいつも撮る写真である。よく見てるなあ、と感心する。改めて、学校を休ませて良かった。
伝統芸能に触れることで自分が”日本人であること”を認識するのは私たちにとって大切な事柄の一つである。自然を愛でて、色味が付き始めたこの頃の枇杷の甘さを想像することと同じくらい、大切だと思っている。
コメント
コメントを投稿