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ココペリ。10周年

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 博多、今泉、ココペリ。10周年、ポエトリーリーディングで誘ってもらい参加してきた。キャンドルナイト以来、実に5年ぶりである。 ココペリはここで10年も続いている由緒正しき”街の居場所”である。空間の柔らかさや、心地よさは言うまでもなく、周年祭を祝うそれぞれの演者のレベルの高さにグッドな刺激を頂きつつ、俺もモンチも、伸び伸びと持ち時間を満喫できた気がしている。 ライブ自体、とても久しぶりのことで緊張はしたのだが、ここにきてようやく、”言いたいこと”ではなく、”言わなければならないこと”を詩という形を借りて、言葉にして、発することが出来た気もする。 以下、忘備録として、その詩を置いておく。名前はまだない。 2020から2023 そのうち忘れられる日々よ そこに在った人々の営みよ サヨナラ戦後、サヨナラ震災後、サヨナラ明治維新後、ハロー、 西日に照らされた新しい世界。土でも風でも、なんでもいいよ 2020から2023 新しいノアの箱舟は未だ藪の中、100年後の歴史がどう語ろうとも、 怪しい箱舟に乗るほど阿呆ではなかった自分を誇れ、 今日も会えた君と俺の、交差するこの瞬間の座標を愛でよう。 生まれた日、と、書いて星と読むこと忘れた君と俺と、 空から見ている、いつかの俺たちに伝えよう、 今日、ここが新しい日々の始まりであることを。 いつか書き換えられる過去の、かけがえのない今に、 宇宙に存在するすべてのモノが 互いに結びついているという真理の中で、 指から指に繋がった、赤い糸の熱を信じて、 サヨナラ、そのうち忘れられる日々、 サヨナラ、そこに在った人々の営み、 西日の中で、ハロー また転がってゆくよ、新しい風に吹かれて。

初めての東北の雪山、新夷の風

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撮影 : 新夷の風/山形 0128-0203 2024 重いものと寒い場所が苦手、と、顔の割にヌルいことを公言させてもらっていた自分がまさか、二十四節気・大寒の東北の雪山に立ち、カメラを構えているなんて想像すらしたことがなかった。 犬式・三宅洋平さんから連絡がきて「一番寒いときに、イチバン寒い場所に行こうかと思って」と言われて、来月発売予定のアルバムに収録されている”新夷の風 / 犬式”のPV撮影&取材で山形県東根市を訪れた(なぜ私なのか、という率直な思いと、やっぱり俺でしょ、という得体の知れない自信に満ち溢れて踊った。薄暗い我が家のリビングで、携帯片手に本気のムーンウォークかましたぜ)、とはいえ、寒い場所は苦手である。 19歳の初春に雪の残る富士の樹海で遭難したトラウマ(記憶)も鮮明に蘇り(これはこれで長い話になるのでここでは割愛する)、一生分のホッカイロをバックパックに詰め込み、万全の態勢で挑んだ。行きの道中では、出発の前日にぢゃんさん(会津若松出身)から言われた「そっか、東北の雪山に行くのか、死んでこい」という重い言葉がまるで黙示録の終末ラッパの音に重なり脳内で繰り返された。それから北上と共に、車窓の風景がゆっくりと灰色に変わり、日暮れと共に山形に到着した。その時、暗闇で一斉に遠吠えする狼犬の声が、終末ラッパの音を掻き消してくれた。覚悟がキマった瞬間だった。 ”あらえびす”では衝撃の連続である。ここでそれらを文字に換えて綴ったところで、その真髄を伝えられる気はしない。私は私の言葉の限界を知り、絶望する代わりに未来に希望を抱いている。記録家として、言葉だけではなく、写真と映像でそれを表したいとも考えている。やけに小気味いい犬式の新曲「新夷の風」、その映像の中で、それを表すことが出来れば幸いで最高で光栄です。 冬の東北、緊張の雪山、美しい光、水を巡る冒険、魅惑のスキンヘッド、遠吠えする狼と血縁を越えた家族の在り方(動物を含む)、現代社会の違和感の行方、未来の新しい形、宇宙に存在するすべてのモノが互いに結びついているという真理の中で、私自身、新しい時代を生きているこの頃の”実感”がやけに嬉しい。 宇宙人と会ったのは、生まれて初めてな気もするが、初めてではない感触もある。それにしても山形は蕎麦もラーメンも美味かった。いつからか旅は、イマの自分に足りないモノを提示してく

雪のひ

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降る降るとは聞いていたものの、だいぶ降った。さすが郡山と言いたくなった。郡山は、鹿児島における氷山の感覚、あながち間違っちゃいないよ。三吾が生まれた年に降った大雪以来の風景だった。あの時は、”大正以来88年ぶり”という、天気予報で聞いたフレーズを今も覚えている。3日ほど交通機関が麻痺して、たまたま福岡から帰ってきていた妹がなぜか我が家で足止めをくらい、一緒に生活をした。とても懐かしく感じる。 「木や葉っぱに積もった雪が朝の光に照らされていっせいに溶け始めた。晴れているのに雨降りみたいな音が山中から聴こえてくる。面白いな、コレの名前(この状況)なんていうんだろう。鹿児島育ちには珍しい雪の日だから、今まで考えたことがなかった。-threadsより-」 明後日、恒例の「旅の途中」を終えたら、翌日日曜の午前には新幹線に乗り北を目指す。最終目的地は山形県の雪山である。その後、約1週間の旅を終えた後、沖縄の北に位置する”鹿児島県”沖永良部で去年から続くプロジェクトのクライマックスが始まる。 今年も初めから、去年の充実感が続いている。 この調子で、生きる限り気合いれて目の前の景色に集中したい。 相変わらず、生活は楽にゃならんが、人生は愉快だ。 知らなかった場所で、そこで暮らす誰かと出会い、共感して、学ぶ。 その風景を忘れないために、 僕は写真や映像や言葉でそれらを記すのである。どこでもいいよ、 まだ見ぬ景色と、人と、温泉に会いたい。 たまにはサボるが、期待には応える。 ”しっかりする”の意味が、この頃、やっとわかってきたわ。

【 口上荒磯 guitar by sou / 泰尊,TAISONG 】featuring 笑福神楽団

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友人宅での何気ない会話の中でしか出会えない神様がいる。俺たちはそれを閃きと呼んでいる。その閃きを、生活の中でいくつ形にできるか、人生の醍醐味はそれに尽きるといっても過言ではない。”会話の中でしか出会えない神様”などと言ってはいるが、それはいつだって14歳の自分かもしれないし90歳の俺かもしれない可能性を捨てきれずに居る。或いは、似たような性格のご先祖がどこかで、それをささやいてくれているのかもしれない、そうなるとやはり、それは神様なんじゃないのって話。鹿児島とはいえ1月は寒い。 錦江湾に面した、小さな港町の路地裏で撮影に臨んだ。被写体はラッパーと神楽。”ワンマンライブ”まで2週間を切ったラッパー・泰尊の現在と、ずっと昔から変化を繰り返し、今もなお受け継がれる神楽の舞い手・宮川哲郎の交わるところを撮りたいと思った。イメージはすぐに沸いた、二人とも快く承諾してくれて、12月の閃きの輪郭が描かれた。 ひとつの仕掛けとして、彼らは初対面である。 撮影開始の3分前に顔を合わし、ろくに挨拶もないまま、まずは神楽師が舞う。路地裏の街灯の下を鬼が舞う。曲は2分20秒、ほんの短い時間の最初の1分で、隣りにいた泰尊にナニかが飛び火したのがわかった。小さな火花のように思えたソレは彼の中の何かしらのスイッチが入る音だったのかもしれない、自然と鼻息が荒くなり、太くなる眉毛と、燃えるヴァイブス、もう、アントニオ磯 泰尊と呼びたくなる。そういえば、古舘伊知郎がアントニオ猪木の引退試合で言っていた「猪木は、すべての人間が内包している闘う魂をリング上で代演する宿命にあった。しかし、この瞬間をもって猪木はリングから姿を消す。我々はどうやって火を灯していけばいいのか」 このナレーションが今も忘れられずにいる。 残念ながら古舘伊知郎はアントニオ猪木を失ってしまったが、俺のアントニオ磯は生きている。目の前で、今から、この鬼に挑むのだ。本物の、ただならぬ空気である。2分20秒の神楽師の短い舞いは、空気ごと路地裏の風景すら変えた。面越しに聞こえてくる荒れた息遣いが熱風に思えた。 それから泰尊が、靴を脱いで真冬の路地裏に立った。 それでは、その様子をご覧ください、

微かな面倒臭さを抱きながらも飽きることなく

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  去年、ひょんなことから自分の写真を賞レースに出してみようかな、と考えた。今まで、あまりそんなことを考えたことはなかった。自分が撮っている写真である、仕事であれ、プライベートであれ、すべての写真を気に入っているし自信を持っている。もちろん仕事であればクライアントの要望や意向に沿う形で撮影や現像を行うとはいえ、どれもまず自分が好きな写真であることに変わりはない。そんなわけで、今まで、コンテストに興味がなかったのだが”ひょんなことから”、今に至る。 締め切りが近付いている。 ここに来てようやく、コンテストに送る写真の形が見えてきた。 ここ3か月ほど、ずっと頭の片隅で転がしていたのだ。微かな面倒臭さを抱きながらも飽きることなく、この時を待っていた。 さて、選ぶとするか。

春が終わる感じです。

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気づけば半年が経っていた、いつの間にか僕はこんなにも長い間、文字を書かなくても生活ができるようになっている。きっと充たされているのでしょう。それは、土曜日の朝に鳴いている鳥の声を聴けばわかる。それは幸いです。とはいえ、やはり、書かなければならない、と、なぜか思ってしまうのが不思議である。ずっと前は、テキストを打つことで自問自答を整理していた気がする。半径数メートルの”世界”に生じる幾つもの矛盾や不条理について、自分なりの言葉を叩き続けた。排泄行為というよりは、唾を吐く、態度に近いだろう、世界と向き合うための言葉が、僕には必要だった。にも関わらず、文字を書かずとも近頃は普通に生活できていたのは家族のおかげなのだ。しかし、ふたりの子がだんだん大きくなってきた。 天乃も、ついに春から小学生である。三吾が生まれて8年、僕のほとんどの興味関心は彼らに注がれた。子育ては本当に愉しいのだがそろそろ彼らにも”ジブン”が芽生え、自分の足で、歩き始めた。まだまだ心配な歩幅とはいえ、歩けばそこが道になるのだ。彼らの小さな後ろ姿を眺めながら、たまには声を掛けてあげたい。というわけで、小さな子供に手取り足取りされれていた季節にも終わりが近付いている、春が終わる感じです。 さて、まずはどこかに、置き忘れた言葉をひとつひとつ探すところから始めようかな。  

東京回帰/23/

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never feel nostalgic  Tokyo. 古い友人の祝い事に招待され、東京へ。 ほんの2週間前に立ち寄ったばかりとはいえ(長年暮らした街が)相変わらず何も懐かしく感じないのは、山手線のせいだと思う。 車窓から見える小汚い風景や高層ビルも車内の匂いも座席の色も、懐かしくないどころか、まるでそれがまた明日からも続く日常のような錯覚をもたらす。 静かに目を閉じて、子供たちの声や、鳥の羽音を思い出したところで目を開けば2000年代の東京風景と何も変わらない”気分”になり、久しぶりに青い溜息を吐いたのだがアレは本当に俺の記憶(気分)なのだろうか。 1925年に円くなって以来、昼夜回転し続けているあの列車は現在・過去を問わず、それに乗車している人々の記憶をゴチャ混ぜにしている。果たして、いつになれば、俺は途中下車出来るのだろうか。 東京回帰/23/ 祝い事で行ったはずなのに祝い事の写真など1枚も残さず、ゴチャ混ぜされた記憶の中に見た風景を撮る。 そういえばホテルでスーツに着替えて、式場に向かう用意を整えた途端、 猛烈にそこに行く気が消滅し、 別方向の列車に乗ったことはまだ妻にも話していない。 【instagramより】 https://www.instagram.com/yamashitajodan/